今回は近隣の根岸柳通りを題材としました。
交差点の先に見えるマンションは建設時に住民の強い反対運動がありました。
実は描く際に「このマンションを描かず西の空をより広くすれば、構図も取りやすく開放感ある絵になるのではないか?」とも考えました。
ただ、その「現実否定」の精神は果たして正しいのか?、と問い質した結果、現実に存在するものをありのまま受け容れ、且つ、そこから新たな「美」を発見抽出することこそ、描く者の使命であろうと考え直し、あるがままに、このマンションを描きました。
ただそのおかげで、都会風景特有の美の片鱗に気づくことができ、この風景には感謝すらしています。
最近近隣ではマンションが林立し、地上を歩く私たちが見る景色からは空や雲、日照の面積が減りつつあります。しかしよく見ると高層階にできた窓・バルコニーの面・欄干・タイル等々が太陽光を反射し、むしろ「反射光・再反射光とこれによって照らされた場所」が無数に増えたことに気づきます。
空と雲は面積こそ小さくなりますが、その分貴重性が高まり、空の先の空間の存在とその永劫性に思いを馳せ、対象への意識が深まりました。
風景は今後も変貌を極め、私たちはかつて享受していた「自然なるもの」を失い自然界に存在しない「直線」に囲まれるでしょう。
しかしこれを以て「絵にならない」と嘆くのは創造的思考が軟弱で追求力を欠きます。
「絵画美」は、あらゆる環境の変化を受容し、且つ対峙し熟考し、存在するすべてのものから美を求め抽出する強い「精神の力」によって実現するものであろうとの信念のもと、本作品を創るに至りました。【日榮画廊】
◎作品解説
…今回も「近隣風景」を題材としました。
テーマは究極的には「宇」つまり空間と「宙」つまり時間、夫々の永劫性ですが、直接的には無秩序を避けつつもこれを擁護する人間の精神性にあります。
右側の道路は通行目的のいわば秩序立てられた軌道性ある空間、往来のための存在です。
左の公園は前後左右自在に移動できるのみならず走ることも飛び跳ねることも遊具を用いての上下移動・回転・滑降することも可能な、いわば秩序や軌道性を捨象した行動が許される空間。
その真逆の機能と両極端な意味を持つ2つの空間を花壇が遮断します。
私たちもかつては無軌道を好み遊具を用い揺れや回転、滑降、そのスリル感を求めたことがありましたが、いつしかその欲求を失い、予測可能な軌道と効率的な実益と安心感を求めるようになりました。同じ精神をもつ人間が時間の経過によって欲求と行動を大きく変化させる。ただ、過去において求めた無秩序を否定し排除するのではなくむしろ保護・擁護するのが成熟した人間の精神性であろうと思うのです。
そしてこの対峙する二つの空間を遮断し規律するものが花壇である、と考えます…これが空間性。
時間性については時計の存在はわずかに象徴するかもしれませんが、何よりも花壇の縁が彼方の消失点に消えてゆくことで、自律し秩序を求めると同時に無秩序を擁護する人間精神の時間的永劫性を表わせるか、と考えました。
こういう思想哲学を背景にした作品をシュールや抽象の手法ではなく、従来通りの印象主義的具象の様式で、且つ、思想を象徴しやすい人物・動物を敢えて描かずに試みたのが本作品です。【日榮画廊】